先週は、セラピストとして、
ゆったりセラピーインストラクターコースに
アシスタントとして参加してきました。
アシスタントとして、講座に参加するのは
もう何度目でしょうか。
からだを通しての学びは
決して飽きることがなく、
また、
ゆったりセラピーそのものが、
目の前のクライエントさんはもちろん、
セラピスト自身の統合感を増すセッションであるので、
繰り返しその場にいて深めていくことが、
自分自身も、セラピーを享受し
幸福感が増すのを感じています。

日常から離れて、朝、昼、晩、と温泉三昧の中、
たっぷりの時間をとって、
ひたすら交換セッション(練習をしあうこと)、
そしてフィードバックを重ねます。
からだを通しての対話を言語化していく。
言葉にならないものは、
そのまま、それを大切にする。

セッションの内容は、
着衣のゆったり整体。
タオルの上からゆっくりと深く、触れていくことで、
身体が自然に蘇っていくのを体験します。
初めてコースに参加する受講生とは
初心に帰る気持ちと同時に、
何かが動いていく、
深い部分からにじみ出るような充実感を
経験の深いセラピストさんからは、
「こんなに自由なんだ」と、
受け手としては、
セラピストとしての可能性の扉がひらかれていくような・・・
そんな感覚と、
こちらがさせて頂くときは、
その都度のフィードバックから
知りたかったことが、少しずつ
からだで体得していける喜びを感じました。

今回、とりわけ忘れられなかったのが、
同じアシスタントとして交換セッションを行った
柔道整復師の資格を持つ、ゆったりセラピスト
田路加奈子さんとのセッションです。
首都圏を中心に活躍されている
スポーツアロマトレーナーでもあり、
治療家としての国家資格を持つ加奈子さん。
「スポーツ」の現場にいるのがぴったりな
元気な印象を抱いていましたが、
加奈子さんのセッションを受けた時に、
今まで、
他のどんなトリートメントを受けた時にも
感じたことのなかったような、
繊細な、深い部分での生命への敬意と
初々しい心の震えのようなものが
優しく、深いタッチから伝わってきて、
それが、私の中の
「心の震え」のようなものと共鳴し、
生まれて初めて体験するような
もう、このまま命が尽きても、後悔しない、
最期は、こうして迎えたい、
と理屈ではなく、
全てを受容するような、
そんな想いが沸き起こってくる
深い、深い、リラクゼーションを体験しました。

プロフェッショナルであるには
「慣れること」が大切、
と、ずっとどこかで思ってきたように感じます。
いつも、どきどきすることが多く、
例えば、『赤毛のアン』ではマシュウ伯父さんに
自分自身を重ねるような、
人見知りな私は、
人に慣れてこそ、一人前、と。
初々しさや心の震え
生命への畏敬の念
いつも新鮮な気持ちでいること・・・
無理して慣れなくていい。
むしろ、深い部分では、一生、慣れなくていいんだ。
何か、そんなことも教わったような気がする
2018年11月の
ゆったりセラピーインストラクターコースの
アシスタント体験。
🌿

大人になると、
どんなに幸せそうな人も、語らないだけで、
見えない悲しみを体験していることに気づかされます。
「どんなよろこびのふかいうみにも ひとつぶのなみだが とけていないということはない」
(谷川俊太郎さんの詩 『黄金の魚』より)
そのなみだにそっと手を当てながら、
深い喜びを共に分かち合える
そんなセッションを
その都度、その都度、フレッシュに、
大事に大事にしていきたい。

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